岩戸開き 三千世界の大掃除

大峠に向けての大掃除と御魂磨きの方法について 岩戸開きと神様のことについて

五度の岩戸閉め

天の岩戸伝説というのを聞いたことがあるでしょうか 

wikipediaより

古事記編集
誓約で身の潔白を証明した建速須佐之男命は、高天原で、勝ちに任せて田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりして乱暴を働いた。だが、天照大御神は「クソは酔って吐いたものだ、溝を埋めたのは土地が惜しいと思ったからだ」と須佐之男命をかばった[1][2]。

しかし、天照大御神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。ここで天照大御神は見畏みて、天岩戸に引き篭った。高天原葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した[3][4]。

そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金神の案により、さまざまな儀式をおこなった。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。

鍛冶師の天津麻羅を探し、伊斯許理度売命に、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、八尺鏡(やたのかがみ)を作らせた。玉祖命に八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせた。

天児屋命と布刀玉命を呼び、雄鹿の肩の骨とははかの木で占い(太占)をさせた。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉八尺鏡と布帛をかけ、布刀玉命が御幣として奉げ持った。天児屋命祝詞(のりと)を唱え、天手力男神が岩戸の脇に隠れて立った。

天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った[5][4]。

これを聞いた天照大御神は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。

天宇受賣命が「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と布刀玉命が天照大御神に鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思った天照大御神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

すぐに布刀玉命が注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。こうして天照大御神が岩戸の外に出てくると、高天原葦原中国も明るくなった[6][4]。

八百万の神は相談し、須佐之男命に罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した[7][4]。

 

こうして岩戸が開いたのですが

これは騙した岩戸開きで大神はまだ岩戸の中にいる 岩戸は5回閉められている

https://tukishiro-art-lab.hatenablog.com/entry/2019/09/10/060000

岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐イザナギ)ナミ(伊邪那美イザナミ)の命(ミコト)の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国(よみのくに)に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまっているのであるぞ。一(ひと)ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へばだんだんに判りてくるぞ。

 

 夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められたのである道理、わかるであろうがな。その後、独(ひと)り神(がみ)となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申すまでもないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引(ちび)きの岩戸をひらかれて相抱(あいいだ)き給う時節来たのであるぞ、嬉(うれ)し嬉しの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、働きは逆なのであるぞ、この二つが揃(そろ)うて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を共に開かんと申してあろうがな。

 

 次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、騙(だま)した岩戸からは騙した神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃(そろ)うてお出まし近うなって来たぞ。

 

 次の岩戸閉めは素盞鳴命(スサナルノミコト)にすべての罪をきせて根(ね)の国に追いやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治(しろ)しめす御役(おんやく)の神であるぞ。天ヶ下は重きものの積もりて固まりたものであるから罪と見えるのであって、よろづの天の神々が積(つ)もる(という)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ、命(ミコト)を荒ぶる神なりと申して伝えているなれど、荒ぶる神とは粗暴な神ではないぞ、暴れ廻り、壊し廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしていて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治(し)らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命(ミコヨ)にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。

 

 神武天皇の岩戸閉めは、御自(おんみずか)ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸に隠して神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレヒコノミコト)として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。

 

 仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が射していたのであるなれど、仏教と共に仏魔渡り来て、完全に岩戸が閉められて、暗闇の世となったのであるぞ、その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。

 

国常立神はこの世を天国にするために1から10までの経綸しくみを考えました 機織りのように縦と横になっていたのですが8まで来た時にスサノオが馬を殺して機織りのところに投げ入れるという暴挙をして機織りの女は驚いて機織りの横糸を通す道具板で陰部を突いて死んでしまう そのことにショックを受けた天照は引きこもってしまう 岩戸開きとはこの8までで止まってしまった岩戸を10までやることです

このブログでもキ気の世界を紹介しています

10の世界です 生命の水もこの世界の水は一様に泥水です 清水を流して清めてやらねばならんなり もっとこの水が普及すればいいのになと思います 美味しいラーメンが食べれる

また 固形物 麺にも使えます スパゲッティとか

 

仏教は救いとばかり思っていたけど仏が入ってきて神道の光はなくなってしまったらしい

仏教は世俗との繋がりを絶って清らかな道を目指すけどそれは間違いで世俗のものは大神がつくったもの それを否定してはいけないということ 世俗で天国へ行けない人があの世で天国へ行ける道理もない

 

神武天皇は神ではなく人を神にしてしまった

それが間違いだということです あくまでも神様を上にしなければいけない

神を忘れる行為です

 

スサノオは本当は天ケ下を治める尊い役目を負っていたのに間違いの神様はこの神を追放してしまった それが岩戸閉めになった

 

岩戸が開けると12345678の世界が12345678910の世界になり物質が変わるということです

たぶんあの世とこの世が繋がるんだと思います

真っ黒い太陽が出た時に分かるでしょう